FC2ブログ
--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010.11.29

文化変調

とっても面白い二つの記事が朝日新聞に掲載されていました。



①の記事



芸術性より売れ筋



要約



昔の映画は著名な評論家が高評価した『作品的評価』というものが『興行成績』とリンクしていた。

いまはそういう権威的存在からの評価より、TVにうつる観客の生の感想『感動しました』や、ブログ、ツイッターのような大衆参加型のメディアミックスの台頭により、芸術性より、いかに多くの人の感動を得たか、さらに本末転倒なことに、いかにたくさんのひとがみたか、という要素が観客を動因するという状況。映画が表現物というよりは消費物という傾向。

映画=絵画=音楽





感想



評価を大衆にゆだねたことによって、教養、文化のレベルは下がるものなのだったら、いったいだれのための芸術なのかわからない。でも、めちゃかんたんなことばでいうと、『大衆受けするものはしょせんちゃちぃ』と思ってしまう。

じゃあ昔みたいに少数の『文化的レベルが高いとされる人々』にのみ評価の権利があるままのほうが良かったのか?

評価の公平さのなかでは鬼才は生かされない・・・・?

まるで資本主義の正当化と似ているけど。



そもそも、わかりやすい、うけいれやすい、ということは『ちゃちぃ』ということ?

世の中の映画がすべて海猿やら、踊るー、やら、しゅれっく、になったら残念に思うよ。

カンヌはそういう意味ではがんばってくれてるのかな。



②の記事



大阪方式のコンサート



要約



ある銀行が発案した新しい出資型オーケストラ公演。企業や個人に、一口5000円で出資をつのり、集まりが悪ければ『お流れ』もあり。開催費用を席数で割り、一口金額を決める。銀行がまどぐちになって、出資者がお金を払い、払った口数に応じてチケットを受け取る。『支援は広く・浅く』がコンセプト。『経済状況に左右されないで文化活動を支える新しい仕組み』らしい。

過去、流れてしまった企画も多くある。

開催を優先・確実にするには、大きな企業に100~200口依頼する手もあるが、それでは従来のスポンサー制の企画と変わらないので、この『大阪方式』で踏ん張るらしい。





感想

めちゃめちゃ画期的だと思った。日本全国でやったら、そのお国の文化もわかるってもんですよね。

ただ①の記事の流れからすれば・・・。

お客をよべる企画をやりたいスポンサーが開催するコンサート

お客が『呼ぼう』とお金を出し合ったコンサート



違いある?



ただ、ウン百万の大規模な話ではなくて、50人が声出し合って開催するコンサートってのはきっと面白いと思う。

いろんな立場のコミュニティーがあるから、このコミュごとにカラーがあって、面白いと思う。

それこそ、万民受けするコンサートってのは必ずしもアレとは限らないから、あえて少人数でやる。

情報がくるくる回るようになる。



不景気だから、根を張るものがあるのかもしれないなぁ。






スポンサーサイト
Posted at 21:26 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.27

リュウゾウという芸術家

 昨日キースジャレットのドキュメンタリーDVDをゲットして早速見ました。



ほとんどの人が勘違いしてるんだって。



音楽というものが、音楽から始まるって。



キースにとっちゃ、世の中のほとんどのことが音楽より重要で、たとえば哲学、とか、宗教。



音楽が芸術になろうとする場合、どういうときか、自分に何が足らないか、やっぱりわからない。







※ダルマ=スタンダードとの距離



今日は笠岡にある芸術家の絵を見に行きました。なにかあるような気がして。



たとえば青い鳥の絵がありました。



真っ青で、いろんな角度から見たような、よくわからない表情の。端っこに良くわからない小さな絵があるわけ。



ごちゃごちゃとして。



なにかいいたいようなタイトルなわけ。



でもさっぱりわからない。



けど確かにいえるのは



しっかりとした写実的なデッサン技術を持っている上での独創性、わからないけど、美しい・完成度が高い。



思想がある絵だった。



楽しみ、愉快というものはひとつとしてなかった。



彼しか作れない作品たちだったと思う。





だるまの話をしたけど、彼はきっとダルマを題材に作品を手がけたとしても、



すばらしくリアルな、美しいダルマになるだろうし、なのにどのダルマとも区別がつくだろうし、



何かを言わんとするダルマにすると思う。



きっとジャズスタンダードを演奏する場合にも、それが理想(私は、よ。あくまで)



それがスタンダードとの理想の距離だと思う。





※ソロについて



それと、そういう自分の作品を作る場合に、かれはめったなことでは他人との共作はつくらないと思う。



とーってもとっても難しいことでしょうね、いや難しいというかかみそりの世界。



きっと、みんな言うと思うよ『自分の世界を確立していない段階で、人と何をつくれるっていうの?』



彫刻家の間では常識のことでも、



音楽の世界では常識ではないことよね。



みんな人とやるのが前提じゃない?(人と奏でるすばらしさは今回は置いとかしてください)



私個人としては、一人でなにかを奏でて、きちんと自分の色身が出てくるまでは人とやっても



しょうがないかも。というか、色実が出るように意識していれば、人とやっても、明確な会話ができるんじゃないかな。



相手がやりやすいんじゃないかな。



というところまで考えると、いまできる曲は2曲しかないなと思ってしまいました。



せめて4曲まで頑張りたい。












Posted at 21:36 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.25

昨日の、真逆な事態

昨日なんて書いたかな。



音楽ほど『アーティスト』ヘのハードルが低いジャンルは無い



だったかなぁ。





でも違う見方をすれば



音楽ほどその作品に含まれる芸術性の割合に自由が許されるジャンルは無い



とも思う。





昨日は大好きな弾き語りすとの演奏を聞きにいきました。



ジャズ風



ボサノバ風



正直言って歌謡曲。 芸術性なんてない雰囲気。

でも安らぐ。

音楽には個展(ライブ)を開くにしてもいろんな次元がゆるされる。

だって、



だって、





うまくいえないけど、音を連ねて言葉を綴るってことは人にとってタンパク質みたいなもんだから、靴下みたいなもんだし。





だた一曲だけあった。体の違う部分がおーっと来た曲。



本人は他曲と変わらず作ったかもしれない。でも言いたいことを伝える際に集合させた言葉とその順番が、その曲に違う空気をまとわせてて。



あれは芸術品と思った。







よしっキース様買いに行こう。
Posted at 18:49 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.24

ダルマニアンアーティスト

音楽をする人はアーティストだっていう人がいるけれど、音楽家ほどアーティストへのハードルが低いジャンルはないのではないかなぁ?



ダルマや木彫りの熊を土産物やに並んでるものそっくりに作って展示して『個展やってます』なんていう彫刻家はいないだろうし、世界の有名な絵画を塗り絵したり、破いて他の絵とくっつけたところで『オリジナル作品できました』なんて言ったら同業者からプンとされてしまうよ。





芸術品か民芸品の区別は明晰なのに



芸術品と大衆娯楽音楽は区別が際どいものが殆ど。





非難してる訳じゃないよ、ただ守るためには知らないといけないし、単純な疑問。
Posted at 19:16 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.23

聴く力

ひとのこころの湖水



その深浅に



立ちどまり耳澄ます



ということがない





風の音に驚いたり



鳥の声に惚けたり



ひとり耳そばだてる



そんなしぐさからも遠ざかるばかり





小鳥の会話がわかったせいで



古い樹木の難儀を救い



きれいな娘の病気まで直した民話



「聴耳頭巾」を持っていた うからやから





その末は我がことのみに無我夢中



舌ばかりほの赤くくるくると空転し



どう言いくるめようか



どう圧倒してやろうか









だが



どうして言葉たりえよう



他のものを じっと



受けとめる力がなければ
Posted at 19:17 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.15

こころ

 深夜、ずっと読みたかった金子みすずさんの本を読んでいました。



こころ、という詩。



お母さんは体が大きいのに、こころはちいさい



だって、こんなにちいさい私のことでいっぱいいっぱいだというんだもの。



わたしはこんなに体がちいさいのに、心はずっと大きい



だって、こんなにおおきなお母様のことでいっぱいだけど、もっともっとたくさんのほかのことも入ってるもの



というような詩。





かわいいし、子供らしいし、言葉のあつめかたが素敵。







そんなときでした。



そんな気分をぶち壊す、心がざわついた人からのメール。



私も心がざわつきました。心を砕くのじゃなく、ざわつかせることしかできなかった。



目の前の金子みすずは時空を超えて私の心を溶かすことさえできるのに、草の根にさえ思いをやれるのに、



私は一度笑顔を交えた隣人の心さえ溶かせられない。溶かしてあげたいと思うことすらできない。



こころが小さいの意味が、冒頭のおかあさまとは大違い。



彼女が安心できる言葉を探して、返事をしました。



そして眠れない夜をすごしました。



彼女の『眠れない夜』のおすそわけをもらったような感じ。



いいよ、ぜんぜん。



そのかわり、あんた、しっかり寝なさいよね。





ほら~やさしくなれない。
Posted at 21:55 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.07

空洞

 まど みちお



さんという人の100歳記念番組がNHKで放送されました。きっと文化の日だったからだね。



ビーズがぱらぱらと落ちていくこと



アリへの謝罪



まつげにかかる虹のこと



そんな些細な些細な物事への思いがつづられている。



言葉というのは大事



何個知っているか、ということは大事



でも、もっとも大事なのは、どのようにつづるかということ。



そのつづりかたを決めるのは心。



きっと音も同じこと。





それについてはまたいつか、ということにして。







わたしが強く強く感じたのは、本当の物事というのは、誰に見られるでもなく、ある、ということ。



まど さんは入院している病室で気づいたことは何でもノートに書きとめていました。



世に出てこない言葉の集まり、絵がたくさんあるんです。



一人で、誰にしられるでもなく、日々、生み出しています。



そして100歳になっても変わらない日々です。



本当の詩人だと思います。



世の中一般に定義される詩人、というのではなく、本当に詩人なんだと思います。



何冊出版したか、

何人の人が知っているか、





じゃなくて。生きるってことと言葉をつづるってことがごろごろぐるぐるに入り混じって

生きてるんだか詩を書いてるんだか

息するか詩を書くか

もうどっとがどっち、?みたいな。





う~ん、100歳のライバルっ


Posted at 12:55 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
2010.11.02

うらやましいし、自負もする。

 なんかミクシに最近のJPOPは歌詞が似たようなんばっか



みたいな記事がありましたね。



瞳閉じすぎ



翼広げすぎ



私弱すぎ



などなど。苦笑です。





マイケルジャクソンの曲に最近やられました。



『Man in the miller』つづり違う?



世の中を変えたい、という趣旨の歌詞です。



それを鏡の中の自分に問いかけるっていう、発想?っていうのかな。言葉のもって生き方が素敵と思う。



とてもストレート(すぎる)のにかっこいい、日本の曲では味わえない。うらやましいと思った。



日本語にも多様されるように、言葉の言い回しの芸術って、英語にもある気がする。



言葉のつづり方の芸術っていうのかな。



For all we knowとか、素敵。





少し昔の詩集なんかには特に言葉のきれいな使い方がいっぱいあって、いいなと思う。



茨城のり子さんの詩で、くわしくはわすれたけど、戦争で命を落とす覚悟を決めたからといってそれは愚かしいことだよというような内容の詩の文末で『本当に愛する人のためにこそ』でおわっている。



あとを想像させる意味や、前の内容を強調させたりと、深い深いものを含んでいて、素敵。



ことば少ないなかでいろんなことを含ませられる日本語って素敵。



きっと英語にも、ネイティブの人にしかわからないニュアンスがいっぱいあるんだろうね。



もったいないね。





なににしても、5.7.5.7.7だけでは使えきれない、というスタンスでいきたいし。あんまし言葉多いのはすきじゃないなぁ~
Posted at 15:30 | 未分類 | COM(0) | TB(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。