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2014.10.26

二年ぶりの弾き語りだった。

東京で初めての弾き語りライブ終了しました。

セッティングしてくださった石井さん
お店のマスター
ブッキングのお姉さん
お客様
ゲスト参加してくれた美樹ちゃんvo

お世話になりました。ありがとうございました。





実はワンマンでの弾き語りは初めてでした。

朝練、夜練をしても、なかなか、歌いながらヴォルテージを上げて、頭が真っ白になることが多かったです。

金木犀(笹川美和)
君に逢い(なみえ)
I wish you love
秋に捧ぐ(なみえ)
瞬きもせず(中島みゆき)


llovin' you(ミリーリパートン)
命の名前(久石譲)
まるで世界(別役実)
春の人(なみえ)
愛について(友部正人)
ひとり(なみえ)

アンコール

糸(中島みゆき)

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つたなさにためいき

でも、己の音楽にまた息が吹き込まれたような

人のほとんどは水で、

良いモノでひびかせて行きたいと

また原点に戻れたような一日でした。

ゲストの豊川美樹ちゃんはアカペラー

アカペラで一曲、まるで世界という曲も披露しました。

この曲を歌うときには即興で寸劇をして歌に入ります。

友達なので、普段の会話からすっと。

これまた、音楽を共にする、あるべき姿

誠意ある関係の上で音を重ねる。

特に病気も事故も無く、営んでいける今を本当に恵まれていると感じます。


踏みしめて、噛み締めて。


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2014.10.16

期待

わたしも少し大人になりまして、
とてもとても好きな曲、ここがこんなに素敵なんです、ほらこの歌詞素敵でしょ!?

と言いたいけれど、お客様の自由に想像をふくらませられるように、有る程度説明をしないようになりました。

今日のライブ、どうだっただろうか、あのサラリーマンの人は目を閉じていたけど、つまらなかったのかなぁ…

と思ったり。

そんな、初めて聴く曲を自分の心に手繰り寄せられる感受性の柔らかい人ばかりではないから。

日々、反省したり、潔く意地になったり…。


昨日のライブ来てくれたお客様が今朝メッセージをくれた。

また、ぶっとんだ妄想的内容…だったけど、わたしが一番伝えたかったことを受けとめてくれている内容だった。

しかも、とても心が近いのがわかる、意味不明さ。あの人とわたしは似ている。

期待はしないけど、あのようなお客様に出会えると、大きなご褒美をもらった気分。

そして…それが伝わるような柔らかで温かいタッチで弾いてくれた小畑和彦さん。あのように弾かれたから、あんな素の声になれたし、グイグイ聴きあって歓びの声が出た。

大手術を終え、療養を終えた友人も来てくれた。
退院後に、また浴びることができたお日様の話をしてくれた。

そして今日お昼ご飯を買いに行く途中、心地よい秋風の下、改めて太陽をみた。影を踏んでみた。

期待

お客様には、ライブ後の帰路、翌朝、いつもの景色を違った思いで眺められるような、そんな時間を提供していきたい。

自分への期待


ですね。


追伸
アルバムが我が家にやって来ました。



この子達を責任持って渡して行きます。





2014.10.04

確かに、にはたづんだ

にはたづみ
[名]雨が降って、地上にたまり流れる水

最後まで、ちゃんと把握しきれないまま、終わった。


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きれいな言葉だな、なんなんだろう?それが始まりだった。

銀座の一等地にある清潔感のある室内。
ただものじゃない木目調のピアノ。
踊るような、水を弾くような、にはたづみの文字。

そこにいくと、そわそわとしてしまう。
どう振る舞っていいのかわからない。
でも気になる。

スペースにはたづみ

とは、芸術家のための芸術家が運営するギャラリーだ。
通常、音楽家がライブ会場でライブをする場合にはチャージ金額の半分はお店に収める。
しかしその場所は少額の使用料を収めるだけでライブや展示、パフォーマンスを行うことが出来た。

あら便利、都合が良い

そのもっと奥の奥に、この先の時代に灯されることになるであろう哲学がある。

演奏家は食べていくために演奏し、人気を得るために客に媚びた演奏をし、お店は客が呼べる演奏家を獲得し、お金をめぐらせていく

その真逆の場所といえばいいのか。

真摯な芸術家を養うパトロンがいて、そこでは真に湧き出る表現のみがもとめられ、それがわかる聴衆がつどい、芸術家があつまり、広がっていく


そんな場所といえばいいのか。


其の場所にいくとそわそわしてしまう理由

今になって思えば、そこはいわゆる「よくあるライブハウスでの一連のながれ」がないからだと思う。
どうふるまって、何をだれと話すか、すべて自由で、自分に問うからじゃないかと思う。


その場所が、この間の月曜日にクローズとなった。

私は日曜日に、その場所の牽引者、中村さんのピアノを聴きに行った。

いつもと同じ、晴れやかなような、でもどこかぴーーーーんと張った神経があるような中村さんだった。

多くのミュージシャンが訪れて、セッションが始まった。

ギタリストがコールした曲が、あいにくベーシストには分からなかった。

弾けないでいるベーシスト。

展開してゆく曲

だれかが、その曲の楽譜を譜面台に置いてくれた。

でも彼は弾かなかった。

その弾かない音を、うつむいて聴いた。

冒頭、中盤ベース音なしで作られたその演奏に今、譜面が与えられたからといって入ることが音楽として良くなるか、意味があるか、判断した結果、彼は弾かなかった。


一時が万事


細木数子さんといううらないの人から学んだことばである。
彼女は電車で化粧をする女性に対し、ろくでもないことだ、と苦言を呈するさいに使った。

一時が万事

にはたづみは万事、音楽を高めること、共演者の音に対するケア、万事、それに重きをおいた場所だった。

最後まで。

その日はその場所の牽引者中村さんとパトロンの高松さんを囲んで思い出話、今後の展望について話し合った。

あのふたりの尊重しあい、無遠慮な点、根拠のある信頼関係をみると、幸せな気分になれる。

あまだまりのみずは消して消滅することはない。

またたまり、あたらしい物を映すだろうと思う。




Posted at 00:34 | 思い | COM(0) | TB(0) |
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