FC2ブログ
--.--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2017.02.02

沈黙

昨夜、夫と映画「沈黙」を観に行きました。
遠藤周作さんの小説を数年前に読んで以来の沈黙でした。
三時間弱に及ぶ長作だったので、うーん、いろんなことを考えさせられたけど、とっても断片的でまとまり様もない事柄です。
自分の意志を曲げよ、と言われた時に、人って圧力の掛けられ方によってはめちゃ強固なものになったり、逆にもろくなったりする。
本作では切支丹が棄教を迫られたんだけど、自分自身が苦しめられるのは、むしろキリストに倣えたようで、誇らしい苦しみだけど、5人の信者が拷問を受けていて、「お前さえ棄教するといえば、踏み絵を踏めば、この5人は助かる」「イエスだって、こんな状況だったら棄教するだろう」
「結局、お前は自分さえ良ければ…」などという迫り方をされると、もう、司祭様、半狂乱になっていました。
いや、ほんとにイエス・キリストならどうしていただろう。そんな記述、聖書になんかあったかなぁ。
江戸幕府がそんなにも徹底的にキリスト教を排除しようとしたことも、気になります。
だれかの本で、「もしもあの時(ペリー来航のとき?)、鎖国がずっと続いていたら、道は土のままで、郵便やさんは飛脚のままで、長屋にはご隠居がいて、日本人は頑丈で粗食で、そりゃあいい時代を今日迎えていただろう」なんていう人もいる。
不平等な貿易、海外からの毒っけた思想、食物の数々。。。
そういうものを完全排除する為に、宗教も排除しようとしたんだろうか。
それにしても末端の人たちの苦しみときたら。。。
いつも純粋で真面目な末端の人が苦しむなぁ。
その当時、なぜキリスト教をそんなにも人々が渇望したのか、仏教が、人々の苦しみに応え得る存在でなかったのか、そこも気になりました。
キチジローという登場人物がいるのですが、(窪塚洋介)もう情けない役で、何度でも悔い改め−の、なのに何度でも踏み絵ふみーの。
彼のセリフに「自分はもっと前に生まれていれば、幸福で模範的な信者のまま天寿を全うできたのに、なんでよりによってこんな時代に生まれたんか、悔しい」と。
自分もかつてキリスト教を勉強していた時に、幼いながらに、「うわ、イエス痛そう。このままこの宗教をやるってことは、いざ禁令の時が来た時は隠れて屋根裏でお祈りしたり、捕まって拷問うけても血だらけでも辞めん!って言わんといけんのんか、できる?無理じゃない?」みたいな自問自答をしたことがあるのを思い出しました。
今の時代だから、うふふ、すばらしい教え、今日も神様ありがとう、と言ってられるけど、自分にその覚悟があるのか。
この間読んだ明石順三についての本では、第二次世界大戦の時に宗教上の規律を理由に兵役放棄したのは彼らの宗教だけだったそうで、明石順三は実に7年の投獄と拷問に耐えたのだけど、
戦後開放された後にその宗教を棄教して言ったセリフが「これだけの苦しみにもまして神の教えに従うものを信者というんであって、ガラクタみたいな人間の寄せ集めで頭数数えて信者が増えた~とか言ってる奴はどうしようも無い」みたいな発言をしていた。
強烈な迫害に耐え得ないものは悪?価値なし?信者で無し?
じゃあ踏み絵を踏んだあの司教はニセモノなんだろうか。
それともイエスを100%クリスチャンとして、85%クリスチャン、なんだろうか。
ラッキーな時代に生まれて、掟に完璧に従えた信者は100%の称号をもらえて、そうでない場合は。。。
いとも簡単に何度も踏んじゃうキチジローは0%クリスチャン???
あの主人公の司教が至った新境地、フェレイラさんが至った新境地について、もっと掘り下げてほしい。
っていうか、自分で掘り下げてみたいと思う。
踏み絵はその後何度も踏むけれど、イエスキリストが心のなかにいる。
仏教も学ぶ、日本の妻子と暮らしながら心にイエス・キリストがいる。
棄教しました。という証明書を何度もスラスラ書くけど十字架は持ってる。
自分を責める気持ちから、なにか別の形の平安、イエスキリストとの対話があったんだろう。
日本のなんらかの思想が、そのように導いた、とか?
話は変わるけど、自分はどのくらい迫害を受けても、戦争反対と言い続けられるか、
どれくらいの資産、精神、肉体的な打撃を受けても、戦争反対と言い続けられるか、
そんなことにも思いが飛び火しています。
これからの時代には、どんな戦争への導入茶番劇が繰り広げられるだろう。
自分がバランスを保っていられるか、準備が必要だと感じたりします。
お奉行様曰く、踏み絵を踏むことは「対したことではない。ほんの軽くかすめる程度で良い。形式的なことだ。こんなこと早く済ませようではないか」と、言葉巧みに迫りました。
その言葉に乗せられて踏み絵を踏んだ人が、後々考えるに、何を失ったか、何を奪われたか。
気づける人間でありたい。

まだまだ話し足りない2月の夜長です。
スポンサーサイト
Posted at 20:04 | ただいま | COM(0) | TB(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。